【誤記誤用】「しまなみ街道」ではなく「しまなみ海道」が正解!命名由来と派生
「しまなみ街道?」「しまなみ海道?」何かと間違えられやすく、変換ミスなどもしやすい、本州と四国を結び瀬戸内海を渡す道路の名前。どちらが正しいのか、それともどちらもあながち間違いではないのか、そのあたりを紹介していきたいと思います。そもそも「海道」とはどんな道のことを指すのでしょう。しまなみ海道の名称の由来に迫ります。
こんにちは。しまなみ海道在住のサイクリスト・カワイユキと申します。しまなみ海道は初心者の方でも自分のレベルに合った情報をもとに準備すれば大丈夫!自転車でゆっくり旅する魅力をお伝えします。
初心者ひとり旅でも安全・安心にサイクリングを楽しめるガイドブックを目指して作っているウェブサイトです。私の記事がもしお役に立ちましたらサポートをお願いします。なお、業者様からの掲載依頼はお断りしています。
本州四国連絡橋
尾道・今治ルート
「しまなみ海道」あるいは「瀬戸内しまなみ海道」は、瀬戸内海の本州と四国を結ぶ3つのルートのうち、最も西側にあるルートの名称です。本州四国連絡橋や本州四国ルートなどと呼ばれるこれら3つのルートのうち他の2つは、主に瀬戸大橋を通り岡山県と香川県を結ぶ「児島・坂出ルート」、明石海峡大橋と淡路島、大鳴門橋を通り兵庫県と徳島県を結ぶ「神戸・鳴門ルート」です。
しまなみ海道は、本州側が広島県尾道市、四国側が愛媛県今治市を起点にしており「西瀬戸自動車道」という高速道路を主とした「尾道・今治ルート」です。「西瀬戸道」と略称で呼ばれることもあり、路線としては広島県尾道市から愛媛県松山市を結ぶ一般国道「国道317号線」の自動車専用道路の扱いとなっています。
本州四国連絡橋のうちこのルートにだけ、それぞれの橋に自転車・歩行者専用道(原付バイク専用道も)が設置されているという特徴があり、サイクリングで瀬戸内海の島々を渡ることができるルートとして世界的に有名です。レンタサイクルやルート標識などの整備が進んでいて、上級者だけでなくファミリーなど初心者の旅行者も自転車旅を楽しんでいます。
今回は、しまなみ海道が間違えて表記されがちという話題から、命名の由来やその後の派生についてもご紹介したいと思います。
- しまなみ「街道」と誤記されがちという話
- しまなみ海道の名称はどうやって決まった?
- 周辺に広がるひらがな4文字海道について
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しまなみ街道としまなみ海道
しまなみ街道の表記例
そんなしまなみ海道ですが、旅行系のウェブサイトや看板、パンフレット、個人ブログ、SNSなどの様々な場面で「しまなみ街道」と表記されることをよく目にします。一般的には昔からある主要道を意味する「街道」というワードの利用される頻度が高いため、「かいどう」を変換すると「街道」が先に出る事もあるかと思います。最近ではだいぶ減りましたが、しまなみ海道が有名になりつつある時期は本当にこの「しまなみ街道」の表記をよく見かけました。
例えば、JR今治駅前にある観光地図看板にも、「来島海峡大橋(しまなみ街道)」と表記されています。各種の広告が掲載されているので公的な看板ではないですが、しまなみ海道の起点となるJR今治駅の周辺でもこうした表記を目にすることがあります。地元業者が作製したと思われる媒体でも、このように「しまなみ街道」と表記されていることは、これに限らず頻繁に目にします。
「しまなみ街道」という表記は、Googleマップ上で現在でも見かけることがあります。例えば最近ようやくルートとして掲載されたサイクリングロードは「しまなみ街道サイクリングロード」と表記されています。さまざまな人が情報の修正を提案できるGoogleマップでは、かつてこの表記がとても多かったのですが、だいぶ修正されていますが、未だにこうした表記が一部に残っています。
また、観光系のウェブメディアでは頻繁にこの「しまなみ街道」の表記を目にします。特に、さまざまなライターが記事を寄稿しているタイプのウェブメディアでこの表記が非常に多いです。紙媒体の本や雑誌に比べるとこの表記が多いのは、校正がどの程度入っているかの違いが大きいと思います。
全開通から20年以上が経ち、サイクリングロードとしての盛り上がりから、各種メディアで取り上げられることもかなり多くなっているしまなみ海道ですが、この「しまなみ街道」の誤表記はさまざまな場面で見かけることがあります。
開通当時の公式資料「しまなみ海道’99」や当時の新聞記事、橋を管理する本四高速株式会社の公式ウェブサイト、愛媛県や今治市、尾道市の公式ウェブページでも「海道」が正しい表記で「街道」は誤植です。しまなみ海道と表記するときは、ぜひ街道ではなく海道を使ってくださいね。
広辞苑のしまなみ海道
しまなみ海道は、名前だけでなく何かと間違われがちなようです。2018年に第7版がでた岩波書店の日本語国語辞典「広辞苑」に、新たに新語として掲載されたしまなみ海道の説明文・解説文が、明らかに間違っているという指摘があり、岩波書店が訂正を発表したという報道がありました。地元、愛媛県や広島県の新聞やニュース番組でも話題となりました。
しまなみ海道が経由する島々に言及した部分で、「大島」とすべきところを「周防大島」と間違えて記載されていました。周防大島は山口県の柳井市の向かいに浮かぶ島、屋代島の別名、あるいは周防大島町という町名です。しまなみ海道の大島とは70kmほど離れた場所にある島です。現在、広辞苑の重版後は、この部分も正しく訂正されています。
そもそも、愛媛県の中だけでも「大島」はいくつかあり、紛らわしい地名ではあります。新居浜市の目の前に浮かぶ島も大島ですし、八幡浜市にも大島があります。混同を避けるため、しまなみ海道の大島は「越智大島」、新居浜は「新居大島」、八幡浜は「八幡浜大島」とも呼ばれます。
私も自分のメディアに誤情報がないように細心の注意を払います。間違いなどありましたらご連絡お願いします!
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しまなみ海道という名前
しまなみ海道の命名
架橋推進の契機とルート
本州と四国の間に橋を結ぶ構想は昔からあり、古くは1889年に香川県議員・大久保諶之丞氏による塩飽諸島(岡山県と香川県の間の島々)経由で橋を架ける構想、1940年に後に神戸市長となる原田忠次郎氏による鳴門海峡(徳島県鳴門市と淡路島の間の海峡)に橋を架ける構想などが挙げられます。1954年には今治市出身の代議士、砂田重政氏によって今治~尾道ルート建設が提案されています。
特に瀬戸大橋の架橋が具体的に進むきっかけとなったと言われるのは、1955年5月に起きた宇高連絡船の沈没事故。岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ船「紫雲丸」が下りの船と衝突して沈没、修学旅行生を含む168名が亡くなった痛ましい事故です。この事故に限らず船のルートしかなかった時代には、よく衝突や沈没の海難事故が頻発していたそうで、橋を架ける運動が活発になる契機となっていったようです。
1959年時点でAルート(神戸・鳴門ルート)とBルート(宇野・高松ルート)、Cルート(日比・高松ルート)、Dルート(児島・坂出ルート)、Eルート(尾道・今治ルート)の5つの候補ルートがありました。1970年の閣議決定でA、D、Eの3ルートが選ばれ、1973年に認可。同年に起きたオイルショックで全ての起工が延期されるなどの紆余曲折を経て少しずつ着工が進められました。1988年4月にDの瀬戸大橋が開通して全通、10年後の1998年にAの明石海峡大橋が開通して全通、そして最後にEのしまなみ海道が1999年5月に全開通(大三島橋は1979年に開通)して事業が完了しています。
しまなみ海道の開通までの年表
しまなみ海道’99公式記録資料、愛媛新聞新聞の当時記事などを参考にして年表を作成してみました。
年号・月 | しまなみ海道開通までの主な出来事 |
---|---|
1954年春 | 今治市出身の砂田重政代議士により「今治~尾道ルート」が提案された。 |
1959年~ | 建設省や国鉄による本州四国連絡ルートの候補地AルートからEルートまでの5ルートの調査を始まった。 |
1964年2月 | 広島県と愛媛県の協議により、尾道・今治ルートの架橋促進運動活発化を目指し「瀬戸内海大橋」と命名した。 |
1969年5月 | 国の第2次全国総合開発計画である「新全国総合開発計画」にA、D、Eの3つのルートの建設が盛り込まれた。 |
1970年1月 | 尾道・今治ルートを含むA、D、Eの3つのルートの事業が閣議決定され、正式に建設することが決まった。 |
1970年7月 | 特殊法人「本州四国連絡橋公団」が設立。日本道路公団などの業務のうち本四ルートに関するものを引き継いだ。 |
1973年11月 | オイルショックで本四橋同時起工式が延期。 |
1975年12月 | 大三島と伯方島の間に「大三島橋」を架ける工事が始まった。 |
1977年1月 | 向島と因島の間に「因島大橋」を架ける工事が始まった。 |
1979年5月 | 瀬戸内海大橋で最初に架かった橋となった「大三島橋」が開通した。 |
1981年3月 | 伯方島と大島の間に「伯方・大島大橋」を架ける工事が始まった。 |
1983年12月 | 瀬戸内海大橋で広島県側の最初の橋となった「因島大橋」が開通した。 |
1986年5月 | 因島と生口島の間に「生口橋」を架ける工事が始まった。 |
1988年1月 | 「伯方・大島大橋」が開通し、大島~大三島間が橋で繋がった。 |
1988年5月 | 大島と今治の間に「来島海峡大橋」を架ける工事が始まった。瀬戸内海大橋で最大の橋である。 |
1990年8月 | 生口島と大三島の間に「多々羅大橋」を架ける工事が始まった。県境を跨ぐ橋である。 |
1991年12月 | 「生口橋」が開通し、尾道から生口島までが橋で繋がった。 |
1993年7月 | 1968年に開通していた「尾道大橋」の横に「新尾道大橋」を架ける工事が開始した。 |
1996年3月 | 尾道・今治ルートの愛称を「瀬戸内しまなみ海道」に決定。(西瀬戸自動車道周辺地域振興協議会による公募) |
1999年5月 | 来島海峡大橋、多々羅大橋、新尾道大橋が完成し、西瀬戸自動車道の全橋が開通した。 |
しまなみ海道の歴史の一番始まりを調べてみると、1954年に愛媛県今治市出身の政治家(代議士)の砂田重政氏が「今治~尾道ルート」を提案したことに始まるとみるのが一般的なようです。1999年5月のしまなみ海道開通時の新聞記事でも、「45年の悲願」という文字を見ることができ、この砂田代議士の提案をはじまりとみていることが分かります。
協議会による愛称公募
構想や建設の段階では「しまなみ海道」という名前はまだなく、先の年表のとおり、1964年に愛媛県と広島県両県によって尾道・今治ルートは「瀬戸内海大橋」と命名されていました。この名称は1996年に瀬戸内しまなみ海道という愛称が決定するまでの間、暫定的に使われていたようです。瀬戸大橋と瀬戸内海大橋の名称が似ていて紛らわしいことも新たな愛称が必要とされた理由かもしれません。また、来島海峡大橋や多々羅大橋、因島大橋などの複数の橋から成るルートであり複数の市町村の島々に跨るため、架橋を契機により広域でのブランディングや地域活性化が求められました。
広域での地域活性化のため、1994年に「西瀬戸道周辺地域振興協議会」が設立。沿線周辺の商工団体や地方公共団体で構成されていました。同協議会によって1995年に11月~12月の期間で愛称が公募。1996年3月にその公募を経て決定された愛称が「瀬戸内しまなみ海道」なんです。同協議会も愛称決定後に「瀬戸内しまなみ海道周辺地域振興協議会」に名称変更し、レンタサイクル事業などを行っていました。
当時の愛媛新聞の記事(1996年3月17日)に、西瀬戸自動車道の愛称が「瀬戸内しまなみ海道」に決まったという内容を発見しました。この「瀬戸内しまなみ海道」命名の詳細が、しまなみ海道開通公式ブックなどの書籍や他のウェブサイトなどでも見つけることができず、なかなか苦戦していたのですが、ようやく当時の記事を発見できました。あまりに記述がないので、非公表なのかと思っていましたがそうではなかったようですね。
亀田良一尾道市長(当時)を選考委員長とし、9058点の応募の中から最終選考で絞られた27点から愛称選考会を経て「瀬戸内しまなみ海道」と決められた経緯が分かります。尾道市の田口さんという方が応募した「瀬戸内しまなみライン」が最優秀賞になり、優秀賞となった岡林さん他3名による「瀬戸内海道」、別所さん他8名による「瀬戸海道」も組み合わせて「瀬戸内しまなみ海道」としたようですね。
西瀬戸道周辺地域振興協議会
ちなみに瀬戸内しまなみ海道周辺地域振興協議会となった西瀬戸道周辺地域振興協議会はその後、統合などを繰り返し、2001年に「瀬戸内しまなみ海道観光推進協議会」、2007年に「瀬戸内しまなみ海道振興協議会」と名称や組織が変更され、レンタサイクル事業のほか観光ポータルサイト「SHIMAP」の管理運営などの地域振興を担っていました。2017年に解散。DMO(一社)しまなみジャパンへと引き継がれています。
街道と海道
「街道」と「海道」は似ていますが基本的には違った意味の単語で、時にほぼ同じ意味で使われることもある単語です。
「街道」という単語
「街道」は、江戸時代に江戸の日本橋を起点に整備が進んだ五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)に代表されるように、主に日本に古くからある陸地の主要道路のことを指す言葉です。単に道路や道すじのことを指す単語としても使われることもありますし、「出世街道」のように比喩的な言葉としても使われますね。
「海道」という単語
一方で「海道」という単語ですが、しまなみ海道以外でほとんど使われることがないように感じるかもしれません。しまなみ海道の命名時の造語と思われがちですが、昔から一般に使われてきた単語のひとつで辞書にも載っています。字面からも最もシンプルな意味は「海の道」で、海上の船が行き来する航路のことを指し、海路や船路とほとんど同じ意味です。
また海沿いの道という意味で「海道」使われることもあります。古くは「海つ道(うみつみち)」と言ったそうですが、江戸から京都への海沿いルートの東海道のように海沿いルートのことを指す単語としても使われています。この場合、海道は海沿いの街道を意味し、海道は街道の中の一ジャンルといった使われ方をします。
愛称を決めた1996年の選考会で優秀作品「瀬戸内しまなみライン」「瀬戸内海道」「瀬戸海道」の3つの名称を組み合わせたとされる「瀬戸内しまなみ海道」ですが、「新しい海の道の誕生と、歴史・文化が感じられる」とされ「海道」が採用されました。
しまなみ海道の由来
しまなみ海道の「海道」は、先述の通り、海の道あるいは海沿いの道という意味から、街道ではなく海道が使われています。中国産業活性化センターの資料によると、1995年の西瀬戸道周辺地域振興協議会の募集では「芸予海街道」「瀬戸内ロマンチック海道」などの候補名があったことが分かります。当時、この架橋によって繋がるこの道を「海街道(うみかいどう)」と暫定的に呼んでいたことも影響しているようです。
では「しまなみ」とは何のことでしょう。しまなみ海道を含むこのあたりの島々には芸予諸島(広島の安芸と愛媛の伊予の一文字ずつを取った)という正式名称があります。一方でこの地域にはしまなみという昔からの地名はなく、かつてあったという記録も発見できませんでした。つまり古くからこの地域の島々を指して呼ばれていた名前ではないようです。
文字のイメージからは
①.島と波を組み合わせた言葉。
②.山並みから着想を得た言葉。
の2つの可能性が考えられると思います。
先述の当時の愛媛新聞記事によると「しまなみ」という名称をひらがなで応募したのは、愛称選考会の最優秀賞となった田口さんという女性。選考委員からは「しまなみ」には「やさしさと躍動感、立体感」があると評価されていましたが、応募者本人がこの名前に込めた意味を語っているような文章は発見できませんでした。「しまなみ」という4文字について、いくつかの面から命名の由来を探ってみようと思います。
中国語訳から意味を探る
現在、中国語に翻訳されるときには「島波海道」という表記が一般的になっています。愛媛県の公式ウェブページや中国語パンフレットなどでもこの表記が用いられています。島波というこの字面だけを見ると島と波、つまり海のイメージである波とそこに浮かぶ島を連想するような表現になっています。ただし公式に「島波」という表記が定められたという記録は見つけることができず、便宜上、当て字として使われているようです。
霞ヶ浦のある茨城県行方市に島並という地名があるので混同を避けるため、あるいは中国語で「並(并)」が否定の意味で使われることがあることなどから島波が当て字として選ばれたと思われます。また、中国語で山々が連なる様子は「山脉」と表現されることが多く、山並とは使われないそうです。島並では意味やイメージが想像しにくいから島波と訳したのかもしれませんね。
しかし、「波」という単語が瀬戸内海の穏やかすぎる海にはあまりしっくり来ない気もします。地形的に波が経ちやすい場所にある「波方町」という地名以外で、今治市・尾道市内には波と付く地名もほとんどありません。来島海峡などの激しい流れも「潮流」や「渦」といった言葉の方が連想され、「波」は連想しにくいです。
やまなみハイウェイ無料化の影響
また、ひらがな4文字で「しまなみ」と公募があった背景には、大分県から熊本県を結ぶ1964年開通の有料道路・別府阿蘇道路の愛称が「やまなみハイウェイ」であったことが影響しているようです。やまなみハイウェイは1994年に無料化されて、九州を代表する観光地である別府と阿蘇を結ぶ観光道路として再注目を浴びていました。当時、やまなみハイウェイは新聞やテレビなどのメディアで取り上げられることも多く、1996年の瀬戸内海大橋の愛称公募で、4文字という命名の方向性、着想に大きな影響を与えなかったと考える方が不自然です。
敢えて漢字を使わずに、ひらがなで書かれているしまなみ海道のしまなみには「島と波」と「島並み」の二重の意味がかけられているのだろうと思っていましたが、時代背景的にも、やまなみハイウェイからの影響もあり「山並み」から着想を得た名称である可能性が高いです。つまり「しまなみ」とは島々が連なる瀬戸内海ならではの風景をイメージした造語と思われます。たしかに、4文字は語呂がいいですし、ひらがなには柔らかな印象がありますね。
当時の愛称選考会であった「しまなみ」への「やさしさと躍動感、立体感」が感じられるという評価は、ひらがなであることでやさしさの表現、躍動感は波のイメージでしょうか、立体感はまさに「島並み」の島が重なるイメージをされていたのかもしれませんね。考案された方はどちらをイメージしていたのでしょうか。決定をした選考委員の方は、両方のイメージをもっていたことがうかがえます。
現在、瀬戸内しまなみ海道やしまなみ海道は、道路名にとどまらず、エリア全体の名称として定着。特に「しまなみ」は地元の企業やクラブの名称など様々な場面で頻繁に使われています。2019年に国交省によるナショナルサイクルルートに選ばれた際の自転車コースの正式名称は「しまなみ海道サイクリングロード」となっています。
どなたかもっと詳しい情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください!
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しまなみ海道からの派生
ひらがな4文字海道
その後、しまなみ海道はサイクリングロードとして注目をされるようになり、周辺のルートも「○○○○海道」とひらがな4文字海道として命名されていきます。例えば2008年には豊島大橋は開通したことで岡村島までの7つの島を結ぶルートは「安芸灘とびしま海道」と命名され、2014年には愛媛県上島町の4島を橋で繋げる構想から「ゆめしま海道」の名前が制定され、2022年3月に岩城橋ができたことで全開通しました。
愛媛県の松山市から今治を通り西条市方面へ讃岐街道とぶつかるまでの高縄半島外周のルートは、古くから「今治街道」という名称で呼ばれていましたが、この区間のうち松山市~今治市の区間は「はまかぜ海道」という名称がつけられてサイクリングコースに制定されています。
このほかにも広島県呉市~尾道市間の「さざなみ海道」、呉市の倉橋島と江田島の「かきしま海道」などもあります。2015年に島根県松江市と尾道市を結ぶ尾道松江線開通を機に沿線が「やまなみ街道サイクリングロード」として制定されましたが、こちらは海沿いのルートでないので「街道」の文字が使われています。また2019年には愛媛県西条市から高知県いの町への国道194号線ルートを「そらやま街道」と西条市らにより命名されています。
こうして、現在はひらがな4文字の海道や街道が瀬戸内海周辺のサイクリングコースのアイデンティティ的な名前として、しまなみ海道から派生し、より広範囲に広まりつつあります。
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しまなみ海道の情報まとめ
しまなみ海道が自転車旅行初心者にも推せるワケ
上級者だけでなく初心者でもしまなみ海道の自転車旅行を楽しめるのはなぜ?しまなみ海道サイクリングロードならではの、便利なレンタサイクルのしくみやブルーライン・標識地図看板などの誘導のしくみ、気軽に休憩できるサイクルオアシスやパンクなどのトラブル対応のしくみ。しまなみ海道だからこそのサイクリング環境が初めての旅をサポートしています。
橋々の特徴と自転車専用道出入口
しまなみ海道にはどんな橋があるの?自転車道はどんな感じ?自転車道への入り口はどこにある?といった情報を詳しく紹介しています。世界初の3連つり橋である来島海峡大橋をはじめとして、しまなみ海道の歴史的なアーチ橋、大三島橋。建設当時世界一の長さを誇り今も上位に位置する斜張橋、生口橋や多々羅大橋。日本屈指の急流潮流の海峡にかかる伯方・大島大橋に、上下二重構造の因島大橋。並行して架かる尾道の景観にもマッチした尾道大橋と新尾道大橋など、個性的な橋々が展開していきます。
しまなみ海道のレンタサイクル
しまなみ海道のレンタサイクルの借り方や返し方、片道サイクリングでの乗捨ての方法や借りることができる車種、料金や予約の詳細など、レンタサイクルサービスごとの特徴を比較して解説しています。一般的に利用が多い、公共のレンタサイクル以外にも民間のレンタサイクルも登場し、初心者の女性ひとり旅から上級者のロードバイク乗りまでレンタサイクルを借りてしまなみ海道サイクリングを楽しむことができます。ぜひ、自分にぴったりの一台を見つけてみて下さい。
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